夢を見ない、あるいは夢を覚えていない。そういう人は意外と多いと思います。
まず大前提として、これは必ずしも「異常」ではありません。睡眠が浅い、起きるタイミング、ストレス、生活リズム――そういう要因だけでも、夢が記憶に残らないことはよくあることです。
そのうえで、ここから先はコラムとして――夢を見ない(覚えていない)状態にも、意味の読み方は複数あるという話をします。
1.夢を見ないことには、両価性がある
私は、夢を「無意識からの手紙」みたいに扱うことがあります。
いつも届くわけではないし、届かない日があっても不自然ではない。
むしろ、届かない日が続くことにも、読み方が二つあります。
1) 肯定的に読むなら:「急ぎの連絡がない」
無意識が強く前に出てくるのは、こちらの意識が重要な事実を抑圧したり、否認したりして、何とかして直視させようとするとき――少なくとも私は、そういう構図を想像します。
逆に言えば、夢が薄い・覚えていないというのは、
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いまは急いで揺さぶる必要がない
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火急の問題を“至急便”で送りつける段階ではない
そういう状態として読むこともできます。
「無意識が沈黙している」というより、こちらの生活がそれなりに回っていて、強制的に介入する必要がない。
そういう静かな時期、という可能性です。
もちろんこれは「問題がゼロ」という意味ではない。
ただ、少なくとも“至急便”を送るほどではない、という読みができます。
2) 否定的に読むなら:「内面に降りる余白がない」
もう一つの読み方は、逆方向です。
夢や無意識に目を向けるには、実はそれなりの余白が要る。
「実存的空虚」という言葉をご存知でしょうか? 衣食住が満たされた現代人が、ふと「生きる意味」を見失う状態のことです。
日々の仕事や生活に忙殺されている人は、自分が「空虚」であることすら感じる暇がありません。それと同じことが、夢にも言えます。
夢を見ないのは、「自分の内面に目を向ける余裕が物理的・精神的にない」からかもしれません。
無意識下に問題がないわけではなく、「今はまだ向き合う準備ができていない」だけ、という可能性もあります。
そしてこの場合、余裕ができた頃に、眠っていた問題が思いのほか大きく育っている──そんなことも起こり得ます。
また、もう一歩踏み込んで「防衛機制」の視点で読むこともできます。どういうことかというと、
夢そのものが「ない」のではなく、夢が表そうとする内容が、いまの自分のふだんの人格とあまりに解離していて、両立させるのが難しい。
そういうとき、覚えてしまうこと自体が危険になるので、夢を記憶へ上げないような働きが起きる――つまり「夢を覚えさすまい」という機能が動いている、とも考えられます。
この場合、夢が沈黙しているのは「問題がない」からではなく、むしろ問題が意識の枠組みに収まらないために、入口で遮られている、という構図です。
2.じゃあ結局、「夢がない」は良いのか悪いのか
結論はシンプルで、どちらとも言える、です。
面白みに欠ける結論ではありますが、多分、これが一番まともな結論です。
夢がないことは、内面が死んでいる証拠ではない。
同時に、内面に何もない証拠でもない。
どちらなのかは、夢そのものではなく、むしろいまの生活の質感が決めることが多いのではないでしょうか。
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