夢分析はなぜ成り立つ?「象徴に意味がある」と言える理由

## 1. はじめに

学術的なレベルでの「正当性」についてはすでに著名な専門家たちが、厳密な先行研究の結果をもとに、その分析の意義を十分に説明してくれています。

ここではもっと俗っぽく、観念的で、個人的な感覚に寄ったところから、夢を真剣に考察することにどんな意味がありうるのかを考えてみたいと思います。

## 2. モチーフと象徴

夢に出てくる物品や景色には特定の意味がある、という夢分析の骨子となる考えを初めて聞いたときには、何をバカなことをおっしゃっているのだろうかと思いました。ありえないでしょうと。

あなたと私は全く異なる性格・経験をして、類似している点の方が少ない人生であったとします。にもかかわらず、何故あなたの夢に出てきた「橋」と私の夢に出てきた「橋」が同じ意味を持つのですかと。そう思いました。

しかし、夢に橋が出現することと、その意味についての知識の順番が逆なら、この主張もまかり通る、というかむしろ自然になりますよね。

橋が変化の欲求を表すものであるという知識を得た後で、夢に橋が出現した場合、この場合なら全く違う人生を歩んできた私とあなたにおいても橋が同じ意味を持って夢に出現しても何らおかしくない。

ただ、それだけではありません。橋は地点Aと地点Bをつなぐためのものであるということは、誰もが理解しています。夢は現実の世界のように順序立てられた複雑な規則は通用せず、一枚絵のように具体的かつ簡略化されます。

であれば、夢の中で出てくる橋も、「AとBをつなぐ」というその機能から導かれた象徴のはずです。橋という、AとBをつなぐ機能をもつ絵はいったい何の象徴であるのか、と考えれば、そこに特定の固有の意味を見いだすことは、必ずしも無茶苦茶ではないでしょう。

だからこそ、北欧神話で神と人の国を遮り・つなぐものとして虹の橋が設定され、死後の世界はたいてい橋を渡った後に辿り着く場所なのです。

## 3. 夢を信頼していいと思う理由

もう結論です。

私たちは橋という物体の役割を知っています。この機能の理解が共通であれば、どれだけ異なる人生を歩んだ人たちの間でも、夢の中で出てくる橋が象徴として似た意味を持っていてもおかしくはないと思えます。究極的な説得力をもつ、とまではいえないものの、そういう理解も可能かと思えます。

ここまでは夢という物を信頼していい理由を説明しました。

次は、私が思う、夢について深く考える魅力を説明したいと思います。

## 4. 夢の魅力

夢には現実からかかる圧が少ないということです。

普段生活しているうえでは道徳・美徳あるいは自分自身の役割に応じて適切な振る舞い・考え方が存在しており、その圧力がある限り自分で好きなように考え・行動しているように思っても、実際そうではない。世界に受け入れられるための自分を演じている。これは社会的な生き物としては良いことです。しかし、こと自己理解という点では悪影響だと言って差し支えないでしょう。

犯罪を行いたいと考えることは、ある意味で自然でもあります。労せずに益を得たいということですから。そういう考え方をする自分もいるということを理解し、上手く折り合いをつけていくことが個性化とでも言うのでしょう。しかし、この悪い側面を持つ自分は普段の生活では完全に抑圧されています。社会はそれを表に出すことを許しません、それだけでなく裏で考えることさえ悪しきことだとしていますから。

この社会に見せることができない自分の側面が現れる場が、道徳の弱まる場、意識の弱まる場、つまり夢の中だということです。無意識は自分を偽ることができないのです。

ゆえに、嘘偽りのない自己を知る場として夢を魅力に思うのです。

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